いつか

放送中のアニメ「平家物語」の第二話で、びわの母親の行方について徳子、祇王びわが話しているワンシーンの、びわ祇王のやりとり。祇王が(母親に)「いつか、きっと会えるわよ」と言うと、びわはこう言った。

 

「『いつか』というのはいい言葉だの。明日、明後日。先のことが少し楽しみになるのう」

てっきり「先」が見えるびわは否定的な反応を示すと思っていたので、この言葉をきいて結構驚いた。だけど考えてみれば当たり前のことだ。子供の頃はいつも明日が楽しみだった。その当たり前が、びわにも当てはまっていたことになんだかホッとした。

 

「スピカ」という短編集の中で、羽海野チカがこの「いつか」という言葉に触れていた。

「いつか」…なんてくるおしい響きでしょう。永遠かと思うくらい果てしなく横たわる時間のその重さ 仄暗さ…

私は「いつか」という言葉は「行けたら行く」みたいなもので、ほとんど「もう二度と」という意味だと思っていた。もしかしたら祇王も心のどこかにそういう思いを持ちながらも、希望を込めてこの言葉を使ったのかもしれない。

 

これが大人と子供の分かれ目の一つなのだろうなと思う。「いつか」が来なくなったとき。それに気づいたとき。あと、自分も誰かに「いつか」と言い始めたとき。

 

びわは先が見えるからこそ、それがどんなに暗く恐ろしくても、常に先があるものだと認識しているのかもしれない。そしてびわにとって「いつか」という言葉は、重盛にとっての灯籠のようなものなのかも。