頭の中が大阪弁

先日、昨年末に発売された一穂ミチの「パラソルでパラシュート」という本を読み終えた。

大阪の崖っぷちアラサー受付嬢がたまたま売れない芸人と出会い、そいつとそいつの相方、そして一緒に住んでいる芸人仲間達と交流していくうちに随分と見える景色が変わっていた、みたいな話だ。

こう書くと面白くなさそうだが、実際はちゃんと面白い。ファニーであって、インテレスティングでもある。

 

ところが読後の余韻に浸っているとき、なんとなく本に挟まっていた小冊子に書いてあるあらすじを見たら目の前が真っ赤になった。そこに「恋愛小説」と書いてあったからだ。

別に恋愛小説に恨みがあるわけじゃない。ただとにかくこれは違うと思ったのだ。宣伝文句とはいえ、なんて雑な目線なんだと腹が立った。

 

このままではせっかくの読後感も不味くなってしまうのでとりあえずここは一度冷静になるためにも、ファニーでインテレスティングなところをいくつか書き出してみる。

 

まず話の伏線というのか、の張り方が心地よかった。ああそういえばこれはあの時言ってたな、というのが出てくる度にまるで自分の経験を思い出すかのように記憶の中のそのシーンに立ち戻らされる。そうして自然と作中の時間に巻き込まれていって、気づいたらギラついた大阪の町に立っているのだ。

そして登場人物たちによるコントや漫才が普通に面白い。主人公が最初に出会った芸人はコンビでやっていて、その二人のコントがすごくいい。ラーメンズの「銀河鉄道の夜のような夜」のような感じだ。しっかり笑い所がありながらもどこか切なくて、ほのかに喪失感を残すあの感じ。

それから言い回し。基本的に主人公以外の全員が皆コテコテの大阪弁を話す。不思議なことに、自分が大阪弁を話せるわけではないのになぜか脳内の耳には大阪弁として入ってくる。おかげで頭の中に大阪弁フィルターができてしまい、頭の中で喋ること全てが我流のエセ大阪弁に変換されてしまっている。ほんまかなわんわ。

あと主人公がグラスに入った氷をなめる時の「かろかろ」という音の表現。絶妙。あれは確かにころころでもからんからんでもなく、かろかろだ。

 

この本を読んでいて一度だけ涙がぽろっと溢れた瞬間がある。主人公の先輩受付嬢である浅田さんという人物のこの言葉を聞いた時だ。(※ここからネタバレ注意やで↓

 

 

「わたしは、わたしを救ってくれるものを守れたらほかはどうでもいい。(中略)現実を見てるからこそ、非現実を愛してんのに。『現実逃避すんな』って、逃がしてくれへんくせに。わたしにとってこれは、現実と向き合うために必要な武器」

 

この言葉を聞いたとき、思わずページに顔をうずめて「ありがとう」とつぶやいた。

空想に生かされてきた身としてこんなに嬉しい言葉はないと思った。今まで抱えていた形のないどろどろした痛みのかたまりを両手でそっとすくいあげて、成形して、鍛えて、武器にまでしてくれた。なんて手厚い言葉だろう。

そしてこの台詞を言った浅田さんという女性、バチクソかっこいいのだ。浅田さんだけではない、この話に登場する女性たちはみんなはちゃめちゃにかっこいい。それがこの小説の一番好きなところかもしれない。

 

「恋愛小説」という言葉が引っかかった理由もこの辺りにあるのだと思う。

「恋愛小説」というとどうしても男女が恋をしてくっつくあるいはくっつかないのふた通りの結末しか用意されていなくて、さらにくっつくルートの先には必ず結婚というゴールテープが張られているような印象があってなんとなく苦手だった。この感覚を主人公は作中のモノローグで言葉にしてくれている。

でも、目の前の道が「仕事」「結婚」の二択で語られるのは何かが違う。

「恋愛小説」という言葉によって主人公も違和感をおぼえている目線であのかっこいい女性たちが語られているようで悲しかった。絶望感すらあったかもしれない。やっぱり、そのルートから外れたものはそのまま出しても売れないから、ちゃんと正規ルート入ってますよと示すために「恋愛小説」という言葉で包まなければいけないのかと。どこにも落ち着かない想いもあるのに。「パラソルでパラシュート」にもそんな着地点のない想いがいくつも出てきて、それが誰かを救い続けていたのに。

そこで気づいた。

あのあらすじを書いた編集部は、そういう想いをごく自然に恋愛だと捉えているからこそ「恋愛小説」という言葉を使ったのではないか。着地点のない、いわば生産性のない想いも恋愛だと。恋愛を描いた小説だから、「恋愛小説」と言っただけなんじゃ。

私ははちゃめちゃにかっこいい女性ではなかった。偏見を持って、雑な目線でものを見ていた。もう怒る理由はない。

 

はちゃめちゃにかっこいい女性たちの中で、一人毛色の違う人物が終盤に登場する。彼女のことも結構好きだし、彼女の生き方にはある種の美しさがあると思った。だけど彼女のようには生きられないとも思った。彼女について主人公が語る場面がある。

 

ひょっとしたら本当の気持ちなんて彼女自身にもわからないのかもしれない。吐き出す場や尊重してくれる相手がいないと、自分の頭で何かを考えても無駄だとやめてしまう。

 

その通りだと思った。身に覚えがありすぎて震えた。だからブログを書くことにした。

ひとつよしなに。